ペレの伝説「ゴウ・デ・プラカ」 -サカなん-

サッカーのファンであるならペレという名を知らない人は世界中を探してもそうはいないだろう。キャリアを通して1000以上の得点を挙げており、公式戦に限っても643得点を記録している往年のレジェンドだ。

「王様」と呼ばれ、抜群のセンスの持ち主だったペレは、常人には不可能なスーパーゴールを数多く決めてきた。そして、その中には「ゴウ・デ・プラカ」と名付けられた伝説のゴールがある。日本人ファンはあまり聞き馴染みがないかもしれないが、間違いなく歴史上最も美しいゴールの一つだ。

本記事ではゴウ・デ・プラカについて紹介していく。

 

 

ゴウ・デ・プラカが生まれたのは1961年3月5日のこと。

ブラジル国内ではリオデジャネイロ州リーグ上位クラブとサンパウロ州リーグ上位クラブのみで争う「リオ・サンパウロリーグ」が開催されていた。ブラジル全国リーグがなかった当時、ブラジルの大多数の強豪クラブがリオデジャネイロ州とサンパウロ州に密集していることから、リオ・サンパウロリーグは、国内で最も権威あるタイトルの一つと目されていた。

ペレが所属していたサントスは、サンパウロ州チャンピオンとしてリオ・サンパウロリーグに参加しており、この日はリオデジャネイロ州の超名門フルミネンセとのアウェイ戦に臨んだ。

 

サントスのエースとして活躍していたペレは、弱冠20歳にして既にブラジル最高の選手と評される存在だった。疑う余地もない”最大の脅威”ペレに対し、マラカナン・スタジアムに集結した約4万人のフルミネンセサポーターはブーイングを浴びせていた。

しかし、若き王は試合開始3分であっという間に先制点を奪ってみせ、そのようなプレッシャーはまるで意に介していないことを示した。試合は0-1でアウェイチームのリードのまま進み、前半の終わりが近づいていた。人々の意識が後半の展望へと移り変わろうとしていた前半40分、突如として伝説の瞬間が訪れる。

 

ペレは自陣ペナルティエリア付近でボールを受けた。味方のコウチーニョとドーバルがそれぞれパスコースにポジションを取っていたが、ペレはドリブルで直進することを選択した。目の前にいたバウドとエジミウソンの間をすり抜けると、持ち前のスピードとテクニックでぐんぐんと加速して行き、迫り来るクロービスとアウダイールを抜き去り、ピネイロとジャイール・マリーニョを巧みにかわし、瞬く間に相手ゴール前に到達した。そして、最後はゴールキーパーのカスティージョの動きを見て冷静にシュートを放ち、至高の数秒間を終わらせたのだった。

ブーイングを浴びせていたフルミネンセサポーターはそのゴールを目の当たりにした直後、クラブへの忠誠心や情熱を忘れ、敵であるはずのペレをスタンディングオベーションで祝福していた。ペレ自身も驚きながらも、両手を掲げ、精いっぱい声援に応えた。フルミネンセからの拍手は2分間鳴り止まなかったと言う。

 

現地で観戦をしていた一人に、敏腕ジャーナリストのフィールドのジョエウミール・ベティングがいる。フィールドの端から端まで単独で縦断し、その間に実に7人もの相手選手を打ち負かして決めた芸術的ゴールは、彼に深い衝撃を与えた。ベティングは、所属していたオ・エスポルテ紙の上司に「ペレの今回の素晴らしいゴールを永久に称えるための記念プレートを作りたい」と進言した。この提案は承諾され、彼の出資から同スタジアムに記念プレートが設置されることとなった。プレートには

『1961年3月5日にペレはマラカナン・スタジアム史上最も美しいゴールを決めた -オ・エスポルテ-』と刻まれている。

以来、このゴールは「プレートのゴール=ゴウ・デ・プラカ(gol de placa)」と呼ばれ始め、次第にブラジルでは難易度が高いゴールや美しく芸術的なゴールを説明する際に「ゴウ・デ・プラカ」という表現が使われるようになっていった。

それについてジョエウミール・ベティングは以下のように語った。

「私はゴウ・デ・プラカという言葉の生みの親ではなく、記念プレートを作るために出資しただけに過ぎない。ゴールの生みの親はペレであり、私がプレートを作ったことがきっかけで、人々がそう表現するようになった。そして今では一般的な表現になったね。」

長いサッカーの歴史の中には後世に語り継がれるようなスーパーゴールはいくつもある。

1986年FIFAワールドカップでのディエゴ・マラドーナの5人抜きゴール、2001-02シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦でのジネディーヌ・ジダンのボレーシュート、2010-11シーズンに行われたマンチェスター・ダービーでのウェイン・ルーニーのバイシクルシュートなどがそうだ。もちろん、これら以外にも数多くのスーパーゴールが現在も生まれ続けている。

我々は、こういったゴールを動画サイトで簡単に何度でも見ることができる時代に生きているのだからとても恵まれている。

しかし、今回のテーマである「ゴウ・デ・プラカ」は映像として残っていない。このゴールが生まれたフルミネンセ対サントスの試合そのものはビデオで撮られていたはずなのだが、よりにもよって伝説のスーパーゴールのシーンを失ってしまったと言うのだ。これはサッカー界にとって大きな損失と言っても過言ではない。

日本のサッカーファンの間にこの芸術的ゴールについての話題が浸透していないのは、映像が残っていないことが一つの要因なのかもしれない。非常に無念ではあるが、今後「ゴウ・デ・プラカ」を見ることができないのであれば、せめて少しでも多くのサッカーファンに、この伝説を語り継いでいって欲しいものだ。

 

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