マラドーナ伝説のワールドカップ - サカなん
サッカー界最高の大会であるFIFAワールドカップ。その人気は全スポーツ中でもトップクラスであり、開催される度に世界中の人々の注目を集める。
そんなワールドカップは1930年スタートと長い歴史を誇り、過去の大会を振り返ると数多くのレジェンドの名が登場する。1962年大会のガリンシャ、1974年大会のヨハン・クライフ、2002年大会のロナウドとオリバー・カーンなど、大会を席巻した名選手たちは数十年経ってもファンの間で語り継がれる存在だ。その中でも史上最高クラスのインパクトを残したのは1986年大会のディエゴ・マラドーナではないだろうか。
サッカーの歴史を知る者であれば、「1986年といえばマラドーナ」「マラドーナといえば1986年」というイメージを強く持っているはずだ。その強烈なイメージの根源は、1986年のメキシコ・ワールドカップでの活躍に他ならない。
ここでは、マラドーナが伝説になった1986年大会のアルゼンチン代表の試合を初戦の韓国戦から決勝の西ドイツ戦まで一戦ずつ辿っていく。
1986年当時25歳だったマラドーナは若くしてアルゼンチン代表のキャプテンを任されていた。そのアルゼンチンだが、実は本大会前の下馬評は決して良くなかった。南米予選に苦戦し、予選突破後にはマラドーナが代表復帰を果たしたものの依然として成績が芳しくなかったのだ。
しかし監督のカルロス・ビラルドは、右膝の古傷を痛めていたマラドーナを信じ続け、彼中心のチーム構成のまま本大会に臨むことを譲らなった。ファンやメディア、そしてキャプテンマークを奪われたダニエル・パサレラからどれだけ反感を買おうとも、決心が揺らぐことはなかった。
大会最初の相手はアジアの雄・韓国だった。
韓国はこれまでのアルゼンチンと対峙した相手同様に、マラドーナがボールをキープしている場面はもちろん、ボールを受ける直前、ボールを離した直後、いずれの瞬間も彼の足を削りに行った。これまでの相手との違いを挙げるとすれば、ラフプレーがより悪質だったことだろう。まるで彼らの国技であるテコンドーをプレゼンしているのではないかと思わせるほどに激しい接触の連続だった。
韓国選手たちのラフプレーを見たアルゼンチンのファンたちは、前回の1982年大会を思い出して不安感を抱いていた。
スペインで開催された1982年ワールドカップでのマラドーナは、21歳にして既にワールドクラスの実力者と認められていた。大会を通じて対戦相手に執拗にマークされ続けたスーパースターは本来のパフォーマンスを思うように発揮できなかった。試合毎にフラストレーションを募らせていたマラドーナは、ブラジルとの最終戦で味方選手がファールを受けたことに激昂し、挙句の果てに報復行為で退場に追いやられてしまったのだ。
あれから4年後のこの韓国戦でもこれまでと同じように厳しいマークを受けるマラドーナ。しかも、当時のアジアのディフェンスレベルではマラドーナを止める術などなく、韓国の暴力的ファールは試合が進むにつれてエスカレートしていった。このままでは4年前のように激昂してもおかしくない…。
しかし、ファンたちの心配をよそに、背番号10は倒されても倒されても試合に集中し続けていた。自分にマークが集中することを逆手に取り、フリーになっている周りの選手にパスを散らすことで試合をコントロールしていたのだ。痛みと怒りを堪え続けたマラドーナは、結局この試合の全3得点をアシストし、アルゼンチンの3-1の勝利に貢献した。
アルゼンチンのファンは、短気だったはずのエースの落ち着きぶりと下馬評の低い頼りないチームが白星で大会をスタートさせたことに胸をなでおろした。
第二戦の相手は4年前にマラドーナを封殺した王者イタリアだった。因縁の宿敵クラウディオ・ジェンティーレはイタリア代表のメンバーではなくなっていたが、ガエターノ・シレアやジュゼッペ・ベルゴミといった世界最高峰のディフェンス陣は健在だった。
試合は開始6分でイタリアがPKを沈めて先制に成功し、早くも優勝候補の一方的な試合になるのではないかと観戦者の多くは考えたことだろう。
しかし、この試合でもマラドーナが気を吐いた。伝統的にディフェンシブな戦術が売りのイタリアを相手にドリブルやパスで何度もチャンスを創り出していった。34分には同点となるボレーシュートを決め、その後もイタリア守備陣を翻弄し続けた。
試合は結局1-1の引き分けに終わったが、優勝候補の一角であるイタリアと渡り合ったことでアルゼンチンの評価と注目度が徐々に高まっていき、チームを牽引するマラドーナは大会の主役候補となりつつあった。
そして第三戦のブルガリア戦でも、マラドーナは1アシストの活躍で2-0の勝利に貢献し、アルゼンチンはグループリーグを首位で通過した。
続くラウンド16のウルグアイも当然のようにマラドーナをマークしたが、好調な背番号10を抑え込むには至らなかった。
準々決勝で当たったのがイングランドだ。
このイングランド戦は、マラドーナが伝説的な2ゴールを挙げたことでサッカーの歴史上で最も有名な試合の一つとなった。
一つ目のゴールの瞬間は51分に突如として訪れた。アルゼンチンのパス交換が失敗し、相手GKピーター・シルトンが頭上に浮き上がったボールを捕球しに行くという何気ない一場面だった。しかし、そこに飛び込んで来たマラドーナがジャンプ一番でボールを小突くことに成功。ボールは軌道を変えてイングランドゴールに吸い込まれて行った。見ていた多くの者がヘディングでのゴールが決まったと思い込んだに違いない。しかし、イングランドの選手たちは血眼になって猛抗議。それもそのはず。マラドーナがボールを小突いたのは頭でではなく”手”によるものだったのだ。しかし、それを見逃していた審判団は得点を認め、このゴールはマラドーナ自身が名付けた「神の手」の呼称で語り継がれることとなった。
ショックとパニックが入り乱れるイングランドにマラドーナが再び悪夢を見せる。
二つ目のゴールは一つ目の僅か3分後だった。ハーフライン手前でボールを受け取ったマラドーナは、ピーター・ベアズリーとピーター・リードのプレッシャーを難なく外し、猛然とドリブルを開始した。
3人目のテリー・ブッチャーと4人目のテリー・フェンウィックを突破し、最後は名手シルトンのタックルも退け、悠々とシュートを決めた。今まで見たことのないような鮮やかなスパーゴールに大歓声が沸き起こった。このゴールは「5人抜きゴール」と呼ばれ、史上最高のゴールの一つに数えられている。
その後ギャリー・リネカーに1点を返されたものの、この伝説的2ゴールを守り抜いたアルゼンチンは強豪イングランドに勝利した。
準決勝のベルギー戦でもマラドーナは2得点を記録した。ディフェンスラインの裏に抜け出して先制点を決め、イングランド戦を彷彿とさせるようなドリブルで3人を抜いて追加点を挙げた。
大会を通じて多くのゴールに関与してきたマラドーナは、ゴール以外にもドリブル、パス、意外性のあるプレーで常に相手を脅かす存在だった。さらに、彼は守備に積極的でないことで知られるが、随所で効果的なボール奪取も見せていた。まさに一人だけ次元の違うプレーをしていたのだ。
ところが、決勝の西ドイツ戦だけはこれまで通りとはいかなかった。
西ドイツでマラドーナのマークを担当したのはローター・マテウスだ。攻守両面でワールドクラスのミッドフィルダーであるマテウスは、フランツ・ベッケンバウアー監督の采配に従ってマラドーナの自由を奪うことに専念した。
マテウスのマークは荒々しくハードなものだったが、トラップ際を狙ってボールを刈り取ったり、ゴールに背を向けている場合は体を密着させて振り向かせないようにしたりと、初戦の韓国とは打って変わり技術面と頭脳面共に優れているため、マラドーナは非常に苦労していた。時折運よくマークから逃げ出せたとしても、アンドレアス・ブレーメ、ディトマール・ヤコブス、ハラルト・シューマッハーらがことごとく立ち塞がった。
アルゼンチンはマラドーナ以外の選手たちが奮起し、2点を先行したものの、勝負強さが売りの西ドイツも執念で同点に追いついた。まさに一進一退の展開だった。
そして、2-2のスコアで残り時間が僅かとなった頃、ここまで封じ込まれていたマラドーナが決定的な仕事をやってのける。
それは、西ドイツが同点に追いついてから3分後の86分のことだった。一瞬のマークの緩みを見逃さなかったマラドーナは味方から受けたパスをダイレクトで前線に通した。美しいスルーパスがホルヘ・ブルチャガに届き、この名勝負に終止符を打つ決勝ゴールが生まれたのだ。
- 2022.01.06 Thursday
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- by soccer-nan